洋楽と脳の不思議ワールド

60年代のマイナーなビート・バンド紹介と駄洒落記事、書評に写真がメインのブログです。

辻潤「ですぺら」初版本/パンク小説「アナーキー・イン・ザ・JP」・・・The Sex Pistols

辻潤澁澤龍彦と並んで、ボクの人間形成に大きな影響を与えた人なので、2008年の記事を一部書き直して再掲載する。

2人とも思想や政治が大嫌いで、主義主張なるものを田舎者の意匠として軽蔑した。

今日、ボクがネトウヨなる人種を軽蔑し、嫌っている淵源でもある。

辻潤は自らを「低人」と称して市井陋巷に身を置いた。

夢野久作をボクは大好きなんだけど、彼は戦前右翼の「黒龍会」を頭山満とともに設立した杉山茂丸の息子。

そのせいで政治的な文章も書いている。

澁澤龍彦先生はそれが気に入らないらしく、久作とほぼ同時期に登場してきた小栗虫太郎を高く評価する文章の中で、「どだい、久作のような田舎者とは違うのだ」と辛辣なこと書いている。

右翼と言っても「黒龍会」とネトウヨは似て非なるものだと一言しておく。



前置きが長くなった。

ですぺら」です。




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辻潤というマイナーな文人のことを知っている読者がどのくらいいるのか疑問だが、日本文学の主流とは無縁の人なので、それも仕方が無いことだ。
が、知っている人にとっては、これほど魅力的で影響力のある人物はいない。

初めて彼を知ったのは、高校生当時、オリオン出版というところから初めてまとまった形で作品集が出版されたのがきっかけだったが、たちまち夢中になってしまった。

大正から昭和にかけ、翻訳家、エッセイスト、小説家(一部)として活躍した人で、なによりも彼の凄まじい生き様に多大な影響を受けた。

日本社会の事大主義や権威、政治運動や大衆運動といったものにそっぽを向き、自身を社会的無能者と規定して、アナキストダダイスト、エゴイスト、ニヒリストとして生きた人だ。

現在、講談社文藝文庫から「絶望の書、ですぺら」が唯一刊行されているので、興味のある方はお読みください。
ただし、毒が体中にまわるので、抵抗力の無い青少年が読むと、今のような世界でこれからの人生を生きていくのは苦労するかもしれないのでご注意を。


1923年(大正12年)、関東大震災が起こり、どさくさに紛れて、大杉栄伊藤野枝憲兵隊に惨殺されたが、伊藤野枝の前夫が辻潤だ。

当時も今も伊藤野枝の前夫としての辻順にスポットが当ることがあっても、文学者としての辻潤に光があたらないのは残念なことだ。

ついでに言うと、このとき手を下したのは憲兵大尉、甘粕正彦で、のちに陸軍参謀本部に栄転し、満州国成立の立役者となるが、今日、反中国の立場から甘粕評価の動きがあるのはボクには狂ってるとしか思えない。

主義者同士で殺し合うのは、権力にとりつかれた政治的人間の常なので、伊藤・大杉惨殺についてああだこうだいうつもりはないが、6歳の子供まで殺した人間を評価するなんて噴飯ものだ。


辻潤は1888年(明治17年)生まれ。江戸の札差の家に生まれたので子供時代は江戸時代の遺産でかなり裕福に暮らしていたらしい。維新後、生活無能者の父は没落、自身も開成中学を2年で中退している。

幸い、英語に堪能だったので、上野高等女学校で教師の職を得るのだが、教え子の伊藤野枝と恋愛し、教師を辞め、翻訳で生活するようになる。

最初に翻訳したロンブローゾの「天才論」が20数版のベストセラーとなり、そのまま行けば文壇の寵児になったはずなんだけど、仕事をする気はまるでなし。
そのうち、平塚らいてふの「青鞜」に参加した伊藤野枝大杉栄の元に走り、ますます厭世家となっていく。

神近市子と伊藤、大杉の3角関係が、有名な日陰茶屋事件というのを起こしたこともあり、辻、伊藤、大杉の3角関係も様々な文藝作品にテーマを提供していて、生田春月「相寄る魂」、野上弥生k子「或る女」、大杉栄「死灰の中より」、谷崎潤一郎「鮫人」等々でモデルを提供している。
(ついでに触れると、日陰茶屋は現在も逗子で営業していて、この店の次男だったか3男だったかが、向かいにラ・マレー・ド・シャヤという店をやっていて、デート・スポットとして賑わっている。)

代表的な翻訳書が先の「天才論」、マックス・シュタイナー「唯一者とその所有」、トマス・ド・クゥインシー「或る阿片吸引者の告白」。

書名を眺めただけで、彼の精神のありようが普通とは違う方向を向いていたのが分かるかと思うが、大正11年(1922年)にダダの詩人高橋新吉を知り、以後はダダイズムに傾倒し、自らをダダイストと称するようになる。

ダダというのは、第1次世界大戦末期にトリスタン・ツァラを中心にチューリヒで起きた文学運動で、既製価値への反逆を目指していた。
後にシュールレアリズムへと受け継がれていくのだが、ダダが独立した個々人の「理由なき反抗」であったのに対し、シュールレアリズムはアンドレ・ブルトンを中心に理論化され、組織化されて行く。

前置きが長くなったが、写真の「ですぺら」は辻潤の代表的作品で(といっても雑文集だが)、20歳の時に手に入れたもので、超大事にしている1冊だ。

大正13年(1923年)7月10日発行の初版本で、新作社が発行し、発売元は文行社。

四六版、丸背カバー装厚表紙だが、ボクのはカバーが失われているので、表紙を掲載した。

写真は奥付見開きで、白頁に元の持ち主(多分当時の青年)が描いた「ニヒリズムとぼんくら」と題したイタズラ描きがある。

おそらく、感動のあまり興に任せたのだろう。

時代を超えて元の読者と会話が出きるような気がして、気に入っている。


この後、辻潤はパリ在住の武林夢想庵の尽力もあって、念願のパリへ読売新聞社の第1回パリ文藝特派員として1年間滞在するのだが、あれほどパリへ行きたがっていたにもかかわらず、パリは石畳の街で、ゲタをはいて歩くと滑るから嫌いだと称して、部屋に閉じこもって中里介山の「大菩薩峠」を読んでいたというのだからますます好きになるじゃありませんか。

このとき中学生の息子、辻一(まこと)も連れて行ったので、当時武林無想庵のところにいた山本夏彦とも旧知の間柄になったらしい。

辻まことは山岳画家・エッセイストとして活躍したので今でもファンが多いし、夢想庵のことは山本夏彦が「夢想庵物語」を書いて90年の読売文学賞をもらったので、ご存知の方も多いと思う。

辻潤の信奉者は全国にいたので、帰国後は各地の信者たちの元に身を寄せる放浪生活を送っていたようだ。

「天狗になった」といって2階の窓から飛び降りたりしたのもこのころのことで(精神に異常を来たしたという説が有力だが、マリファナのせいだという説もある)、戦争終結一年前の昭和19年に餓死している。(こういう凄まじい話にも心惹かれるのだ)。

いま「ですぺら」の目次を掲げるが、彼の独特の言葉使いに注目。


ですぺら
ダダの話
ぷろむなあど・さんちまんたる
文学以外
らぷそでぃや・ぼへみあな
あぴぱッち
わりあちおん
ふもれすく
陀々羅新語
享楽の意義
きゃぷりす・ぷらんたん
ぐりんぷすDADA


ですぺら」というのは despair(絶望)の意味で、「ふもれすく」は「えふもれすく(=ユーモレスク)」のことです。
「ふもれすく」は伊藤・大杉惨殺の後、彼が唯一2人のことを語った文章で、辻潤という人を知ってもらうために、1節を抜き出す。



 ・・・僕がこの人生に生れて来たことは伊藤野枝なる女によつて有名になり、その女からふられることを天職としてひきさがるやうなことを云はれると僕だとて時に癪にさはることがある。
 癪にさはると云へば往来を歩いてゐる人間のツラでさへ障らないのは先づ稀である。それを一々気にしてゐたら、一生癪にさはることを天職にして暮らさなければならなくなるだらう。感情の満足を徹底させれば、殺すか、殺されることか、――それ以外に出る場合は恐らく少ないであらう。
 だから僕などはダダイストに何時の間にかなつて癪にさはるひまがあれば好きな本の1頁でもよけいに読むか、うまい酒の1杯でもよけいに呑む心掛をしているのだ。


大杉栄伊藤野枝・甥の橘宗一(6歳)惨殺事件のことはウィキペディアに項目が立っている。

下記。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E7%B2%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6





2010年、中森昭夫という人が大杉栄辻潤の登場する「アナーキー・イン・ザ・JP」という500枚の書下ろしパンク小説を「新潮」に発表した。





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パンクに目覚めた現代の高校生が、シド・ヴィシャスに会いたくて降霊をしたところ、大杉栄の霊が現れて・・・
と、あんごさんに教えてもらったので、こりゃ面白そうとすぐに図書館へ行ったところ、「新潮5月号」の予約が先に5人も入っていて、ようやく昨日借りられた。
売れない文芸誌に予約が殺到するとは、あんごさんの文芸ブログ「石の思い」の影響力はすごいのだ。
目指すは中森明夫アナーキー・インザ・JP」。
500枚の大作だが、一気に読み終えてしまった。

76年に登場したセックス・ピストルズと23年に憲兵に虐殺された大杉栄を結びつけたアイディアにまず拍手。
4半世紀前のパンクに目覚めた平成生まれ17歳の高校生が主人公ってことに拍手。
その高校生の頭の中に、100歳ほど違う大杉栄が同居して、過去と現在を行ったり来たりする物語に拍手。

第一の感想は、現代のような閉塞した時代にこそ原初衝動に満ちたパンクのエネルギーが必要なのかもしれないってこと。
ただ注意すべきは、セックス・ピストルズのステージがそうだったように、アナーキーな原初衝動が一気に開放されると暴力が生まれやすいことで、ビートニクからヘルス・エンジェルズが生まれたのは記憶に新しい。
この物語でもライオン丸小泉に短刀を突き刺すシーンがあり、結局テロルの物語としてジ・エンドになるのか、と思ったらさにあらず、主人公の白昼夢に終わったのでほっとした。
このシーン、文中に言及がないので若い読者のためにおせっかいを焼くと、社会党の浅沼委員長を刺殺した山口音弥の事件がモデル。中年以上の世代なら余計なおせっかい。
もうひとつ余計なおせっかいを焼くと、文中であえて「鎌倉のサド文学者」と匿名で記しているのは澁澤龍彦氏のこと。

で、何が一番面白かったかというと、ポスト・モダン、脱構築といった現代思想(ちょっと前)のキーワードを使って、日本最大のアナーキスト集団はむき出しの欲望だけが自律運動してきた自由民主党であると、主人公の兄に言わせているところ。
大笑いしてしまった。

もうひとつ、大正時代にワープするので、当時の文学者がぞろぞろ登場してくるのも面白い。
本郷菊富士ホテルには谷崎潤一郎や竹下夢二が出入りしているし、パリのキャバレーにはフィッツジェラルドと酔っ払ったゼルダがいる。大杉栄が訳していたのが無名時代のヘミングウェイだったというオチもあり、こんな遊びが大好きなボクは大喜びだ。

小説の方だが、閉塞の先にある未来が見えない現代の物語らしく、開放は愛の中でしか実現しないとばかりに大杉栄伊藤野枝の100年越しの愛が美しく実るのだが、それはまた棲み憑かれた主人公とりんこりんの愛の物語へと通じていて、それなりに面白いのだ。

もうちょっと中身よりの話をすると、主人公はパンクバンドにベーシストとして参加する。初ライヴのとき、頭の中に棲みついた大杉栄が、これぞアナーキズムだと興奮して主人公の体をのっとり、ヴォーカルリストを蹴飛ばしてアナーキズム万歳の大演説をパンクのリズムに乗せて歌いだすのだ。
聴衆は興奮興奮大興奮だ。
もっともこうしたエピソードは細部にすぎないんだけど、面白くて夢中になる。
細部が異常なまでに面白い小説なのだ。

語り口はあくまで軽快。
だからす~いすいと水上をすべるように読めるので若い読者にこそお勧めだ。

この小説で初めて知ったんだけど、近年では甘粕正彦は虐殺の下手人ではなかったという説があるそうで、中森氏は別人の憲兵を登場させている。

ボクはといえば、大杉栄はよく知らないが、女房を取られた辻潤にはシンパシーしたクチなので、中森氏が辻潤のことを好意的に書いているので、それだけでこの小説を推薦したくなる。



The Sex PistolsーAnarchy In The U.K

https://youtu.be/cBojbjoMttI