滝沢馬琴の文学・・Pink Froyd
最後のソメイヨシノも終わりを迎え、いまはボタン桜(八重桜)が盛りを迎えつつある。
吹き寄せられた散り桜の畳はちょっとどぎついけれど、やっぱり風情を感じる。
北条時宗公お手植えと伝えられている珍しい桜「御車返し(みくるまがえし)」。
何が珍しいかというと、一本の木に一重の桜と八重の桜が同時に花をつけるのだ。
そのせいで、ソメイヨシノよりはちょっと遅く、八重桜よりはちょっと早い。
花期が長いので今が盛り。
上は今日の写真。下は4月2日に撮った写真。
そして大好きな水の表情。
希代のストーリーテラーだと思っている。
シェークスピアが近代英語を作り上げたように、馬琴も日本語の表現を限りなく広げた。
戦後の国語改悪で、今日読者が少ないのは残念だ。
しかし、明治維新まで、「南総里見八犬伝」は武士の家には必ず置いてあったというくらい読まれていた。
もちろん木版本で、神田の古本屋で一度全冊揃っているのを見かけたことがあるが、本の大きさがまちまちで揃えられていたので、すこしずつ版型が変わっていったのを知った。
調べたらこんな版が現在出ていた。木版の印影本だ。ちょっと食指が動く。
https://7net.omni7.jp/detail/1101558221
戦前までは活字本で出ていたので、何冊か手元にある。
そもそもは有栖川公園そばの図書館で、有朋堂書店の「近世説美少年録(きんせいせつびしょうねんろく)」を手にしたのが始まりだった。
中国守護の大内家を乗っ取り、厳島(いつくしま)の戦いで毛利元就に滅ぼされた陶晴賢(すえはるかた)が主人公の読み本だ。
この版元からは「南総里見八犬伝」と「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」が出ていたので、古本屋で探し求めたが、「近世説美少年録」のほうは買いそびれた。
今日紹介するのは昭和4年に博文館から刊行された「馬琴傑作集」。
6編の中短編が収録されているので目次を掲げておこう。
写真の「頼豪阿闍梨恠鼠伝(らいごうあじゃりかいそでん)」は、馬琴が「月氷奇縁」で人気作家になって数年後の昨品。
同じ意味の漢字でも形が異なる漢字があり、これを異体字という。
たとえば「竜」と「龍」は本来異体字の関係になる。
異なった形の文字が流通していると混乱をきたすので、中国では文字の統一をやったが、最後の文字統一が清朝時代の有名な「康煕字典」だ。
戦前までの日本が使っていた漢字、現在台湾で使われている漢字はこの「康煕字典」を典拠に置いている。
戦後の文字改革で当用漢字が生まれた(人為的に)ので、「正字」と言ったりもする。
正字以外の形の当用漢字でない漢字を異体字とか俗字と呼んでいる。
頼豪という僧は実在の人物で(阿闍梨は僧のこと。正確には階級の高い僧のことを言うが、そこまで踏み込む必要はない)、三井園城寺の僧。
白河天皇の時、天皇に懇願されて皇子誕生を祈願して見事に成功する。褒美は意のままにという白河天皇の言葉を信じて戒壇を所望するが、叡山の反発を恐れた天皇はついに許さず、頼豪阿闍梨は恨みを飲んで死ぬ。死して鼠となりて叡山に災いをなさんとし、これがために叡山の経典は鼠に食い荒らされた、と「平家物語」や「太平記」にある。
こうした古典を背景に木曽義仲の遺児や仇と狙う人物などが入り乱れて、妖しの術が花開く奇想天外な物語だけど、長くなるのでやめる。
馬琴は日本語表現の幅を広げた、と言った。
漢字には意味があるが、現在の教育では読み方が制限されている。
馬琴は意図的に読みの多様化を図っている。
たとえば誰でも知っている「周章狼狽」という言葉。
現在でも「周章(あわてて)」とルビを振って読ませる例は多いが、馬琴はこのほかに「周章(あわてふためきて)」とも読ませている。
「異口同音」なら「みなくちぐちに」とルビを振って読ませる、といった調子だ。
馬琴以前から使われていたが、積極的に読みの多様化を図ったのは馬琴が嚆矢だ。
次に、本歌取りを多用するのも馬琴文学の特徴だ。
例えば、木曽義仲から恥辱を受けて自害した猫間中納言の遺族が(後白河院は義仲を恐れて所領を召し放つので)都落ちするシーン。
「海士(あま)の小舟(をぶね)楫(かぢ)をたえて。沖に漂ふ風情にて。泣く泣く舘(たち)を出で給へば。」
小倉百人一首の「由良の門(と)を わたる船人 かじをたえ 行方も知らぬ 恋の道かな」
が、ぱっと浮かばなければここの表現にすごいなあ~と感心しないわけだが、現代の読者には注記が必要だろう。ちなみに戦前の活字本にはそんな無粋な注記なんてものはありません。
第3に馬琴の漢学の素養は深いので、
「蟷螂(とうろう=カマキリのことです)が車に逆(むか)ひ、精衛(せいえい)海を堆(うづめ)んとすとも。そははかなき事なり。」
これはボクも辞書を引いて初めて知った。
精衛は中国の神話上の女神で、炎帝の娘。東海を埋めようとして果たせなかったことから「精衛海をうづむ」という成語になって「不可能事に挑戦すること。徒労に終わる」ことを意味するという。
最後に、馬琴の文章は声に出して読むと実に気持ちがいいのだ。
「平家物語」でも有名な義仲最後の場面。
義仲を最後まで守護した今井四郎兼平のくだりを馬琴の手で。
「太刀を真額(まっこう)に抜挿頭(ぬきかざし)。西を撃っては東に靡(なびけ)。南を撃っては北に走らし。十五騎に手を負はして七八騎を切って落とし。・・・・兼平すでに力極まりて。今はかうと思ひしかば。鐙(あぶみ)踏ん張り。鞍壺(くらつぼ)に衝立(つったち)て。大音声(だいおんじょう)に名告(なのり)けるは。旭将軍木曽殿の御内(みうち)に於て。四天王の随一と呼ばれたる。中三権頭」(ごんのかみ)兼遠が四男。今井四郎兼平が討ち死にするを見て武運尽きてんときの。手本にせよや殿原(とのばら)とて。太刀の切っ先を口にくはへ。馬より落ちて死ににけり。いと目ざましき最期(さいご)なり。」
音読すると気持ちがいいでしょう。
音楽なんて必要なくなるが、一応音楽ブログ。何か適当に貼りましょう。