洋楽と脳の不思議ワールド

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映画評「燃えよドラゴン」

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監督:ロバート・クローズ

 

 

製作・公開:1973年

 

香港・米国合作映画





「物語」

 

そもそも彼は3人兄弟の末っ子だった。



長男は1番目なので「青犬」(ブルーワン)と名づけられた。
次男は2番目なので「青果」(フルーツゥ)と言い、
3番目は父親が面倒くさがって「青3」(ブルースリー)と名づけたのだ。

 

父親は「青斜」といい、「お父さん」の意味で「青斜父」(ブルーシャトウ)と呼ばれている。

 

日本のTV番組、「コメットさん」に出演したこともあるので、「青いコメット」=「ブルーコメッツ」と呼ばれて親しまれていた。



一家は、森と泉に囲まれた静かに眠る村で暮らしていた。

 

森トンカンツ~♪ 泉ニンニク~♪ という食生活を送っていたのだ。




自然が豊かなので、ブルースリー少年は昆虫採集に熱中して成長した。

 

虫取り、これを捕虫術というが、にも様々な流派があり、少林寺の隣にあるしょうじょう寺流が有名だ。

 

ブルースリー少年は月夜の晩になると狸と一緒にこの寺で修行に励み、一流の使い手として知られるようになった。




香港裏社会の大ボスが捕虫術大会を開くことになり、世界中からつわものが集まった。

 

彼の相手は筋肉隆々とした雲をつく大男で、実力が拮抗している。

 

互いににらみ合ったまま、一歩も動くことが出来ない。

 

先に動いた方が負けるので、じりじりと時間だけが過ぎていく。




そのときだ。

 

一頭のアゲハチョウが2人の間にひらひらと舞い降りてきた。

 

その瞬間、均衡が破れた。




「あっ蝶ぉぉぉ~!!」

 

と叫んだブルースリーは目にも止まらぬ早業で右手を突き出し、素手で蝶を捕らえると、逃がさないように5本の指を閉じた。

 

それがちょうど握りこぶしの形になり、大男のあごを捉えたのだった。

 

大男はたまらずダウン。

 

こうして、ブルースリーは優勝したのだ。



このときの記録映画「燃えよドラゴン」が全世界で公開され、ブルースリーは一躍世界の大スターになったのだった。







ジャッキー・チェンもチョイ役で出演していたらしい。

 

マニアが見つけた証拠の映像です。