滝沢馬琴の文学・・Pink Froyd
最後のソメイヨシノも終わりを迎え、いまはボタン桜(八重桜)が盛りを迎えつつある。
吹き寄せられた散り桜の畳はちょっとどぎついけれど、やっぱり風情を感じる。
北条時宗公お手植えと伝えられている珍しい桜「御車返し(みくるまがえし)」。
何が珍しいかというと、一本の木に一重の桜と八重の桜が同時に花をつけるのだ。
そのせいで、ソメイヨシノよりはちょっと遅く、八重桜よりはちょっと早い。
花期が長いので今が盛り。
上は今日の写真。下は4月2日に撮った写真。
そして大好きな水の表情。
希代のストーリーテラーだと思っている。
シェークスピアが近代英語を作り上げたように、馬琴も日本語の表現を限りなく広げた。
戦後の国語改悪で、今日読者が少ないのは残念だ。
しかし、明治維新まで、「南総里見八犬伝」は武士の家には必ず置いてあったというくらい読まれていた。
もちろん木版本で、神田の古本屋で一度全冊揃っているのを見かけたことがあるが、本の大きさがまちまちで揃えられていたので、すこしずつ版型が変わっていったのを知った。
調べたらこんな版が現在出ていた。木版の印影本だ。ちょっと食指が動く。
https://7net.omni7.jp/detail/1101558221
戦前までは活字本で出ていたので、何冊か手元にある。
そもそもは有栖川公園そばの図書館で、有朋堂書店の「近世説美少年録(きんせいせつびしょうねんろく)」を手にしたのが始まりだった。
中国守護の大内家を乗っ取り、厳島(いつくしま)の戦いで毛利元就に滅ぼされた陶晴賢(すえはるかた)が主人公の読み本だ。
この版元からは「南総里見八犬伝」と「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」が出ていたので、古本屋で探し求めたが、「近世説美少年録」のほうは買いそびれた。
今日紹介するのは昭和4年に博文館から刊行された「馬琴傑作集」。
6編の中短編が収録されているので目次を掲げておこう。
写真の「頼豪阿闍梨恠鼠伝(らいごうあじゃりかいそでん)」は、馬琴が「月氷奇縁」で人気作家になって数年後の昨品。
同じ意味の漢字でも形が異なる漢字があり、これを異体字という。
たとえば「竜」と「龍」は本来異体字の関係になる。
異なった形の文字が流通していると混乱をきたすので、中国では文字の統一をやったが、最後の文字統一が清朝時代の有名な「康煕字典」だ。
戦前までの日本が使っていた漢字、現在台湾で使われている漢字はこの「康煕字典」を典拠に置いている。
戦後の文字改革で当用漢字が生まれた(人為的に)ので、「正字」と言ったりもする。
正字以外の形の当用漢字でない漢字を異体字とか俗字と呼んでいる。
頼豪という僧は実在の人物で(阿闍梨は僧のこと。正確には階級の高い僧のことを言うが、そこまで踏み込む必要はない)、三井園城寺の僧。
白河天皇の時、天皇に懇願されて皇子誕生を祈願して見事に成功する。褒美は意のままにという白河天皇の言葉を信じて戒壇を所望するが、叡山の反発を恐れた天皇はついに許さず、頼豪阿闍梨は恨みを飲んで死ぬ。死して鼠となりて叡山に災いをなさんとし、これがために叡山の経典は鼠に食い荒らされた、と「平家物語」や「太平記」にある。
こうした古典を背景に木曽義仲の遺児や仇と狙う人物などが入り乱れて、妖しの術が花開く奇想天外な物語だけど、長くなるのでやめる。
馬琴は日本語表現の幅を広げた、と言った。
漢字には意味があるが、現在の教育では読み方が制限されている。
馬琴は意図的に読みの多様化を図っている。
たとえば誰でも知っている「周章狼狽」という言葉。
現在でも「周章(あわてて)」とルビを振って読ませる例は多いが、馬琴はこのほかに「周章(あわてふためきて)」とも読ませている。
「異口同音」なら「みなくちぐちに」とルビを振って読ませる、といった調子だ。
馬琴以前から使われていたが、積極的に読みの多様化を図ったのは馬琴が嚆矢だ。
次に、本歌取りを多用するのも馬琴文学の特徴だ。
例えば、木曽義仲から恥辱を受けて自害した猫間中納言の遺族が(後白河院は義仲を恐れて所領を召し放つので)都落ちするシーン。
「海士(あま)の小舟(をぶね)楫(かぢ)をたえて。沖に漂ふ風情にて。泣く泣く舘(たち)を出で給へば。」
小倉百人一首の「由良の門(と)を わたる船人 かじをたえ 行方も知らぬ 恋の道かな」
が、ぱっと浮かばなければここの表現にすごいなあ~と感心しないわけだが、現代の読者には注記が必要だろう。ちなみに戦前の活字本にはそんな無粋な注記なんてものはありません。
第3に馬琴の漢学の素養は深いので、
「蟷螂(とうろう=カマキリのことです)が車に逆(むか)ひ、精衛(せいえい)海を堆(うづめ)んとすとも。そははかなき事なり。」
これはボクも辞書を引いて初めて知った。
精衛は中国の神話上の女神で、炎帝の娘。東海を埋めようとして果たせなかったことから「精衛海をうづむ」という成語になって「不可能事に挑戦すること。徒労に終わる」ことを意味するという。
最後に、馬琴の文章は声に出して読むと実に気持ちがいいのだ。
「平家物語」でも有名な義仲最後の場面。
義仲を最後まで守護した今井四郎兼平のくだりを馬琴の手で。
「太刀を真額(まっこう)に抜挿頭(ぬきかざし)。西を撃っては東に靡(なびけ)。南を撃っては北に走らし。十五騎に手を負はして七八騎を切って落とし。・・・・兼平すでに力極まりて。今はかうと思ひしかば。鐙(あぶみ)踏ん張り。鞍壺(くらつぼ)に衝立(つったち)て。大音声(だいおんじょう)に名告(なのり)けるは。旭将軍木曽殿の御内(みうち)に於て。四天王の随一と呼ばれたる。中三権頭」(ごんのかみ)兼遠が四男。今井四郎兼平が討ち死にするを見て武運尽きてんときの。手本にせよや殿原(とのばら)とて。太刀の切っ先を口にくはへ。馬より落ちて死ににけり。いと目ざましき最期(さいご)なり。」
音読すると気持ちがいいでしょう。
音楽なんて必要なくなるが、一応音楽ブログ。何か適当に貼りましょう。
ドラキュラ伯爵の哀愁(かなしみ)・・・The Small Hours
天(そら)に敷き詰められたる星辰(ほし)を褥(しとね)に乙女は熟睡(うまゐ)す。
焚(た)き籠めた沈香(ぢんかう)の香色(かおり)に包まれて、顔容(かんばせ)穏やかに夢を夢みん。
傍らに佇立(たたず)むか黒(ぐろ)き像(かげ)のひとつ。
眼眸(め)に恋の焔(ほむら)を燃やし、憂悶(うれひ)の光景(ありさま)。
吸血鬼(ドラキュラ)伯爵なればなり。
来し方を捨ててこの恋に身を任すべきや否や。
吾が心に生じたる妖事(ふしぎ)に煩悶(とまどふ)ばかり。
思案(ふしぎ)に身をまかせ、つひに決意をぞ固めたる。
堕(お)ちたる光の天使(サタン)に違背(そむ)きて神を崇め、乙女を得ん。
なんぜう、逡巡(ためら)はんや。
危惧(おそれ)の心を捨てよ。
愛人(をとめ)の唇(くち)に接吻(くちづけ)してほんたうの快楽(たのしみ)を知るは今ぞ。
膝を折り、乙女の唇に顔を近づける。
歓語(ささめごと)を囁きながら。
あっ、首筋を噛んじゃった。
前回、洒落で書いたら意外と評判が良かったので続きを書く。
戦後の国語教育は漢字の読み、字義を制限しているので、慣れてないと思うけど、漢字は1語に多義があり、字義さえ違(たが)わなければ、どんな読み方(訓読み)をしてもいいのだよ~という意味でモノした。
関心を持ってくれると嬉しいのだが。
夜の話だから音楽は Small Hours の End Of The Night にしよう。
聴き慣れた曲のはずだが、ロンドンの Bridge House のライヴだというこの音源はスタジオ盤と少し違うので面白い。
男の手料理・・・・The Cramps - Heartbreak Hotel
行く春や鳥啼(な)き魚(うお)の目は泪(なみだ)
深秋だというのに、突然芭蕉の春の句が浮かんだのだ。
何故だろうと考えたら、そうか~兜煮が食いたいんだな~と気づいた。
そんなわけで、今日の男の手料理の時間は「兜煮」のレシピです。
ゼラチン質の目ん玉が絶品ですよね。
魚好きの目玉商品です。
男の手料理の第一歩は、具材を手に入れることから始まります。
近所のスーパーのチラシを眺め、安いあらを探すなんてのは下品(げぼん)ですね。
名人は山に登ります。
おお~見つかったぜ~
鳥兜(トリカブト)です。
食すると、全身に毒が回って得も言われぬ至福のひと時が過ごせるんです。
ツウは鷹の爪を添えるんですねえ。
魚独特の臭みが消えて食べやすくなるんです。
食材探しにせっかく山に来たんだから、「10%の消費税は鷹いぞ~」と大声で叫んでください。
ほら~呼びかけに応えて現れました。
ちゃんと爪切は持ってますよね。
丁寧に優しく爪切してあげましょう。
料理人たるもの感謝の心を忘れないように。
いかがでしたでしょうか。
皆様とともにこれからも美味しい料理作りに励んでいきたいと思います。感謝。
写真が余ったので我が家にご招待しましょう。
兜煮をご馳走になりたい方はいつでも食べにいらしてください。
そうそう~言い忘れましたがボクの故郷、ルーマニアの人たちはドラキュラ城と呼んでるみたいです。
そんなわけで音楽に行きましょうか。
どうせのことなら、ドラキュラに襲われる可愛らしい女性がいいよね。
Poison Ivy なんかいかがでしょう。
このメンバー時代のクランプスが最高なので、性懲りもなくまたこの映像です。
昔の記事の一部。
「Fur Dixon がベースで加わったこの時期の演奏がイチバン好きなのだ。
調子外れのような入り方をしながら、ぴったり合っている Poison Ivy のギタープレイは何度聞いても不思議だ。
こういう他人に真似できない感性が、このバンドを長寿バンドにした秘訣のひとつなんだろうと思う。
Heartbreak Hotel。」
https://youtu.be/IMFO4aadGgM
悲しき願い・・・The Alan Price Set
夜鶯(ナイチンゲール)の旋律(しらべ)が聞こゆる頃ほひ、射干玉(ぬばたま)の闇は靄気(もや)を払つて泊夫藍(サフラン)色の天(そら)が静かに垂帳(とばり)を開く。
昧爽(よあけ)とともに野は薔薇色に輝き、巴旦杏(アーモンド)だの風信子(ヒアシンス)だの忍冬(すひかづら)だのといつた花々が一斉に咲き誇り、咲き乱れる。
楚々(すらり)とした美女(たをやめ)は花車(きやしや)な右手(めて)を高く掲げ、深き長嘆(ためいき)を洩(も)らす。
そは何故(なにゆゑ)ぞ。
恋する青春(わか)き乙女。
清宵(ゆふべ)の星辰(ほし)の高さを量(はか)つて考へてみるに、妾(わ)が思慕(おもひ)の人はもはや生きては帰らじ。
浴槽(ゆふね)に薔薇の花片(はなびら)を浮かめて生れたままの姿になり、斎戒沐浴して古(いにしへ)の波斯(ペルシャ)人(びと)のごとく鬱金香(チューリップ)の花を捧げ持ち、金剛石(ダイヤモンド)の腕輪を翠玉(エメラルド)の首飾りを黄玉(トパーズ)の腰帯を神々に捧げまつる。
ちょっと遊んでみたけど、どうかな??
エリック・バードンと別れた後の67年、アラン・プライスは自身のバンドで「悲しき願い」をBBCで演ったらしい。
05年の写真の2CDに Previously Unreleased BBC Session とあるので、このとき初めて現れたんだろう。
アニマルズ時代のヴァージョンとは違っていて、これはこれで面白い。
https://youtu.be/iq-UcRd9uEA
挫折の人生の何が悪い(開き直り)・・・The Slickee Boys
- 小学生時代のボクの夢は、忍者になることだった。
当時の漫画雑誌には、必ず「忍者になる方法」といったような修行法が載っていた。
まず、屋根の上までぱっと飛び上がる跳躍術の訓練は、大麻を植えて毎朝飛び越えるようにすること。
麻は成長が早いので、跳躍力も飛躍的に身につく。と書いてあった。
ボクは麻を植えたのだけど、乾燥した葉っぱがマリファナだというので、警察が全部没収していった。
朝起きてきて、麻が消えた庭を見たボクの衝撃を想像してくれ~
しくしく泣いていたら、近所の女の子に浅はかね~と笑われた。
そんなわけで、ボクのオリンピック出場の夢は消えたのだ。
忍者は風のように速く走る。
速く走る訓練は、10mくらいの布を頭に巻きつけ、先が地面に触れないように走ることだと教わった。
布の替わりに、オヤジの帯を頭に巻いて走った。
当然、ひらひら舞い上がることはなく、ずるずる引きずったのでボロボロになった。
オヤジが大切にしていた高価な帯だったらしく、思い切り怒られて「お前のようなバカ息子は勘当だ~」と家を叩きだされた。
ボクが「家なき子」になったのはそういう理由からだ。
のちに誰かが「家なき子」という童話を書いて儲けたらしいが、ボクのところに印税は入ってこなかった。
忍者は鍋蓋のようなものを履いて、水の上をすいすい~逃げる。
この術の訓練は、右の足が沈む前に左の足を前に出し、左の足が沈む前に右の足を前に出す~といったように交互に素早く左右の足を出し入れすればよいと書いてあった。
緻密な論理構成に感激したボクは、鍋蓋を足にくくりつけて近所の海で訓練した。
ずぶずぶと沈んで、溺れる寸前に助けられた。
どの訓練も上手くいかなかったので、忍者になる夢が挫折した。
中学に入る直前、ボクはビートルズなるものを知った。
たちまち洋楽に夢中になったので、ビートルズのようなスターになりたくて、ギターを買った。
ギターが弾けないとスターになれない、と信じていたからだ。
3日もたたずにボクは諦めた。
とてもじゃないが、鉄の爪フリッツ・フォン・エリックのように、片手でスター林檎を握りつぶせるほど握力が強くないと分かったからだ。
2度目の挫折だ。
悪いことに坐骨神経痛になったらしい。
動けなくなったのでしばらく休学してから通学した。
と、教室へ入るとボクの座席がないのだ。
休んでる間に転校生に席を奪われたらしいのだ。
こうして2度目の放浪生活に入った。
幸いなことに、図書館が放浪生活者受け入れ施設も兼ねていたので、好きなだけ読書三昧に耽った。
たまたま手にした「中央アジア史」という本で、ボクは初めて絹の道(シルク・ロード)のこと、西域のことを知った。
以来、現在に至るまでボクの西域熱は冷めない。
だから高校時代は西域専門の学者になる予定だった。
それなのに大学受験のとき、歯の根が合わないほど寒い日だったので、史学科じゃなく歯学科を受けてしまったのだ。
師は愕 然として皺を震わせ、「お前のようなバカには学問をやる資格がない。出て行け~」と大学からも追い出されてしまった。
天国よいとこ~♪ イチドはおいで~♪ 酒は美味いし姉ちゃんは綺麗だ~♪
と、鼻歌まじりにボクは門から紋付はかまで出て行ったのだった。
80年、NHKが「シルク・ロード」を放映したときはTVにかじりついて観ていた。
そのとき使われなかったフィルムが番外編として、現在、毎週水曜日の午後6時から放映中だ。
1昨日はタリム盆地のオアシスのウィグル人の暮らしを放映していた。
驚いたことには、大五郎カットにそっくりの幼児が映っていたのだ。
「子連れ狼」のルーツは西域かも知れず、もしそうなら、面白いなあ~~
トルコ系のウィグル人が登場したのは比較的新しく、9世紀になってからだ。
中国人が西域の地理を知ったのは前漢武帝の時代、張騫(ちょうけん)の功に拠る。
紀元前120~130年ごろだと思えばいい。
そのころ、この地にはいくつものオアシス国家があり、住民はほとんどがアーリア系だ。
イチバン有名なのが「楼蘭」。
忍者といえばこのアルバムジャケ。
まだ真面目な音楽ブログを書いていた頃ブロ友さんから教わり、一発で飛びついたバンドだ。
2011年の記事の再録だけど、日本では相変わらず知名度が低いと思うので、向こうのマニア記事をまとめた紹介です。
日本では全く無名らしいが、めちゃくちゃかっこいい。
アメリカでは評価がうなぎのぼりのようで、ネットでも多数の情報源にアクセスできる。
(wikipedia の記事は参考にならないのでマニアの記事にアクセスした方がいいです)
80年代前半の映像だと思うが、まずはこのライヴをどうぞ。
(ボクは80年代の実際のインディ・シーンには立ち会ってないので、また聞きでそう思うだけです・・苦笑)
この映像は音が悪いのが難点だけど、雰囲気はばっちり伝わってくる。
いまならガレージ・サーフとでも名づけたいサウンドだ。
Uでも2曲投稿されていて聴くことができるので興味を抱いた方は是非お聴きください。
ピストルズやラモーンズとほぼ同時期に登場しながら、パンクに向かわず、独自の方向を向いている。
ニューロック以前のサーフ・ミュージックやビート・ミュージックをルーツにしていることで、こんなガレージ・サウンドが市民権を得るまでには、それから長い年月を必要としたのだ。
ヤードバーズの Psyco Daisies をカヴァー(それもほぼ原曲どおりに)しているなんて、この76年当時考えられもしないことだ。
ライン・レコードといえば、60年代ブリテッィシュ・ビートのリイシューに力を入れていたフォノグラム傘下のレーベルで、白い盤面が特徴。ボクも随分お世話になったのだが、このジャケは一度も見かけたことがなかった。
残念だ。
日本人なので、ジャケを見ただけで買ったはずだ。
この数日、毎日聴いているが、ちっとも飽きないどころか何度でも聴きたくなる。
多分彼らの作品の中でも数少ないポップ・ミュージックだと思う。
彼らの音楽はもっと奥が深くて、83年のアルバム Cybernetic Dreams Of Pi はサイケがたっぷりしみこみ(Invisible People が聴けます)、85年の Up,Uh oh...No Breaks ではロカビリーファンのとりこみまではかっているそうだ(既発を録りなおしたアルバム)。
この88年夏にはフランスツアーを行い、その模様が Live At Last と名づけられて89年にフランスで発売されている。
他にも辞めるメンバーいたので、しばらく活動中止。
新メンバーで再出発したがうまく行かず、すぐ正式に解散している。
どの映像を見てもテンションが落ちておらず、日本にも是非来て欲しいバンドだ。
同じ頃、この地には Chuck Brown という黒人ミュージシャンがいて、ファンクをベースに古いジャズやブルースで味付けした Go-Go という独自の音楽スタイルを確立して活動していた。
梶井基次郎創作集「檸檬」初版・・・The Lemon Tree
ちょっとインチキ加減のタイトルだが、半分は正しいのでご勘弁。
「檸檬」の初版は、梶井基次郎存命中の昭和6年(1931年)5月、武蔵野書院より刊行された。
500部刊行。
翌昭和7年(32年)3月永眠。
そして昭和8年12月1日、「梶井基次郎創作集 檸檬」が武蔵野書院・稲光堂書店から刊行され、今日紹介する本。
収録作品は初刊と同じ。
定価は1円50銭。
普及版ということかな?と思ってネットで調べたが、ヒットしない。
昭和6年の初版のほうは3件ヒットして、売値が7万円台から8万円台。
古書価の暴落はとどまるところを知らないようだ。
ボクの後の年代本(昭和12年版画荘文庫版)が3万円台で出ていたので、似たような売値だろう。
もっとも、売るつもりはないので参考程度だが。
希少本だったらいいなあ~(笑)
順に表紙、扉、目次、奥付、そして有名な「櫻の木の下には」の冒頭の一行、「櫻の木の下には屍體(死体)が埋(うづ)まってゐる!」
「檸檬」刊行後、一篇しか作品を書いてないので、ほぼ全部この1冊で読めるというわけだ。
こんな有名な人と作品の話を書いても仕様がないので、「檸檬」にちなんだ曲を聴きましょう。
ジョン・檸檬だな~と思ったあなた~!
ボクはそんな親父ギャグ(使い古された駄洒落)は嫌いなんです。
86年に手に入れた See For Miles 盤 The British Psychedelic Trip(もう何度目の登場になるか分からなくなったが)に、Lemon Tree というバンドが収録されているので2曲(シングル2枚で終わったバンド)いきましょう。
Move や Idle Race 同様バーミンガムのバンドなので、ジェフ・リンがELO結成のため Idle Race を抜けた際、Lemon Tree のギター&ヴォーカル Mike Hopikins が1年だけ替わりを努めている。
まずはボクのコンピ盤収録 It's So Nice To Come Home。
この曲の共同プロデューサーが Discogs によれば Move の Trevor Burton で、関係の深さが分かる。
次は William Chalker's Time Machine。
2曲とも現れたのは68年。
辻潤「ですぺら」初版本/パンク小説「アナーキー・イン・ザ・JP」・・・The Sex Pistols
辻潤は澁澤龍彦と並んで、ボクの人間形成に大きな影響を与えた人なので、2008年の記事を一部書き直して再掲載する。
2人とも思想や政治が大嫌いで、主義主張なるものを田舎者の意匠として軽蔑した。
今日、ボクがネトウヨなる人種を軽蔑し、嫌っている淵源でもある。
辻潤は自らを「低人」と称して市井陋巷に身を置いた。
夢野久作をボクは大好きなんだけど、彼は戦前右翼の「黒龍会」を頭山満とともに設立した杉山茂丸の息子。
そのせいで政治的な文章も書いている。
澁澤龍彦先生はそれが気に入らないらしく、久作とほぼ同時期に登場してきた小栗虫太郎を高く評価する文章の中で、「どだい、久作のような田舎者とは違うのだ」と辛辣なこと書いている。
右翼と言っても「黒龍会」とネトウヨは似て非なるものだと一言しておく。
前置きが長くなった。
「ですぺら」です。
辻潤というマイナーな文人のことを知っている読者がどのくらいいるのか疑問だが、日本文学の主流とは無縁の人なので、それも仕方が無いことだ。
が、知っている人にとっては、これほど魅力的で影響力のある人物はいない。
初めて彼を知ったのは、高校生当時、オリオン出版というところから初めてまとまった形で作品集が出版されたのがきっかけだったが、たちまち夢中になってしまった。
大正から昭和にかけ、翻訳家、エッセイスト、小説家(一部)として活躍した人で、なによりも彼の凄まじい生き様に多大な影響を受けた。
日本社会の事大主義や権威、政治運動や大衆運動といったものにそっぽを向き、自身を社会的無能者と規定して、アナキスト、ダダイスト、エゴイスト、ニヒリストとして生きた人だ。
現在、講談社文藝文庫から「絶望の書、ですぺら」が唯一刊行されているので、興味のある方はお読みください。
ただし、毒が体中にまわるので、抵抗力の無い青少年が読むと、今のような世界でこれからの人生を生きていくのは苦労するかもしれないのでご注意を。
1923年(大正12年)、関東大震災が起こり、どさくさに紛れて、大杉栄と伊藤野枝が憲兵隊に惨殺されたが、伊藤野枝の前夫が辻潤だ。
当時も今も伊藤野枝の前夫としての辻順にスポットが当ることがあっても、文学者としての辻潤に光があたらないのは残念なことだ。
ついでに言うと、このとき手を下したのは憲兵大尉、甘粕正彦で、のちに陸軍参謀本部に栄転し、満州国成立の立役者となるが、今日、反中国の立場から甘粕評価の動きがあるのはボクには狂ってるとしか思えない。
主義者同士で殺し合うのは、権力にとりつかれた政治的人間の常なので、伊藤・大杉惨殺についてああだこうだいうつもりはないが、6歳の子供まで殺した人間を評価するなんて噴飯ものだ。
辻潤は1888年(明治17年)生まれ。江戸の札差の家に生まれたので子供時代は江戸時代の遺産でかなり裕福に暮らしていたらしい。維新後、生活無能者の父は没落、自身も開成中学を2年で中退している。
幸い、英語に堪能だったので、上野高等女学校で教師の職を得るのだが、教え子の伊藤野枝と恋愛し、教師を辞め、翻訳で生活するようになる。
最初に翻訳したロンブローゾの「天才論」が20数版のベストセラーとなり、そのまま行けば文壇の寵児になったはずなんだけど、仕事をする気はまるでなし。
そのうち、平塚らいてふの「青鞜」に参加した伊藤野枝が大杉栄の元に走り、ますます厭世家となっていく。
神近市子と伊藤、大杉の3角関係が、有名な日陰茶屋事件というのを起こしたこともあり、辻、伊藤、大杉の3角関係も様々な文藝作品にテーマを提供していて、生田春月「相寄る魂」、野上弥生k子「或る女」、大杉栄「死灰の中より」、谷崎潤一郎「鮫人」等々でモデルを提供している。
(ついでに触れると、日陰茶屋は現在も逗子で営業していて、この店の次男だったか3男だったかが、向かいにラ・マレー・ド・シャヤという店をやっていて、デート・スポットとして賑わっている。)
代表的な翻訳書が先の「天才論」、マックス・シュタイナー「唯一者とその所有」、トマス・ド・クゥインシー「或る阿片吸引者の告白」。
書名を眺めただけで、彼の精神のありようが普通とは違う方向を向いていたのが分かるかと思うが、大正11年(1922年)にダダの詩人高橋新吉を知り、以後はダダイズムに傾倒し、自らをダダイストと称するようになる。
ダダというのは、第1次世界大戦末期にトリスタン・ツァラを中心にチューリヒで起きた文学運動で、既製価値への反逆を目指していた。
後にシュールレアリズムへと受け継がれていくのだが、ダダが独立した個々人の「理由なき反抗」であったのに対し、シュールレアリズムはアンドレ・ブルトンを中心に理論化され、組織化されて行く。
前置きが長くなったが、写真の「ですぺら」は辻潤の代表的作品で(といっても雑文集だが)、20歳の時に手に入れたもので、超大事にしている1冊だ。
大正13年(1923年)7月10日発行の初版本で、新作社が発行し、発売元は文行社。
四六版、丸背カバー装厚表紙だが、ボクのはカバーが失われているので、表紙を掲載した。
写真は奥付見開きで、白頁に元の持ち主(多分当時の青年)が描いた「ニヒリズムとぼんくら」と題したイタズラ描きがある。
おそらく、感動のあまり興に任せたのだろう。
時代を超えて元の読者と会話が出きるような気がして、気に入っている。
この後、辻潤はパリ在住の武林夢想庵の尽力もあって、念願のパリへ読売新聞社の第1回パリ文藝特派員として1年間滞在するのだが、あれほどパリへ行きたがっていたにもかかわらず、パリは石畳の街で、ゲタをはいて歩くと滑るから嫌いだと称して、部屋に閉じこもって中里介山の「大菩薩峠」を読んでいたというのだからますます好きになるじゃありませんか。
このとき中学生の息子、辻一(まこと)も連れて行ったので、当時武林無想庵のところにいた山本夏彦とも旧知の間柄になったらしい。
辻まことは山岳画家・エッセイストとして活躍したので今でもファンが多いし、夢想庵のことは山本夏彦が「夢想庵物語」を書いて90年の読売文学賞をもらったので、ご存知の方も多いと思う。
辻潤の信奉者は全国にいたので、帰国後は各地の信者たちの元に身を寄せる放浪生活を送っていたようだ。
「天狗になった」といって2階の窓から飛び降りたりしたのもこのころのことで(精神に異常を来たしたという説が有力だが、マリファナのせいだという説もある)、戦争終結一年前の昭和19年に餓死している。(こういう凄まじい話にも心惹かれるのだ)。
いま「ですぺら」の目次を掲げるが、彼の独特の言葉使いに注目。
ですぺら
ダダの話
ぷろむなあど・さんちまんたる
文学以外
らぷそでぃや・ぼへみあな
あぴぱッち
わりあちおん
ふもれすく
陀々羅新語
享楽の意義
きゃぷりす・ぷらんたん
ぐりんぷすDADA
「ですぺら」というのは despair(絶望)の意味で、「ふもれすく」は「えふもれすく(=ユーモレスク)」のことです。
「ふもれすく」は伊藤・大杉惨殺の後、彼が唯一2人のことを語った文章で、辻潤という人を知ってもらうために、1節を抜き出す。
・・・僕がこの人生に生れて来たことは伊藤野枝なる女によつて有名になり、その女からふられることを天職としてひきさがるやうなことを云はれると僕だとて時に癪にさはることがある。
癪にさはると云へば往来を歩いてゐる人間のツラでさへ障らないのは先づ稀である。それを一々気にしてゐたら、一生癪にさはることを天職にして暮らさなければならなくなるだらう。感情の満足を徹底させれば、殺すか、殺されることか、――それ以外に出る場合は恐らく少ないであらう。
だから僕などはダダイストに何時の間にかなつて癪にさはるひまがあれば好きな本の1頁でもよけいに読むか、うまい酒の1杯でもよけいに呑む心掛をしているのだ。
大杉栄・伊藤野枝・甥の橘宗一(6歳)惨殺事件のことはウィキペディアに項目が立っている。
下記。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E7%B2%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6
2010年、中森昭夫という人が大杉栄や辻潤の登場する「アナーキー・イン・ザ・JP」という500枚の書下ろしパンク小説を「新潮」に発表した。
パンクに目覚めた現代の高校生が、シド・ヴィシャスに会いたくて降霊をしたところ、大杉栄の霊が現れて・・・
と、あんごさんに教えてもらったので、こりゃ面白そうとすぐに図書館へ行ったところ、「新潮5月号」の予約が先に5人も入っていて、ようやく昨日借りられた。
売れない文芸誌に予約が殺到するとは、あんごさんの文芸ブログ「石の思い」の影響力はすごいのだ。
目指すは中森明夫「アナーキー・インザ・JP」。
500枚の大作だが、一気に読み終えてしまった。
76年に登場したセックス・ピストルズと23年に憲兵に虐殺された大杉栄を結びつけたアイディアにまず拍手。
4半世紀前のパンクに目覚めた平成生まれ17歳の高校生が主人公ってことに拍手。
その高校生の頭の中に、100歳ほど違う大杉栄が同居して、過去と現在を行ったり来たりする物語に拍手。
第一の感想は、現代のような閉塞した時代にこそ原初衝動に満ちたパンクのエネルギーが必要なのかもしれないってこと。
ただ注意すべきは、セックス・ピストルズのステージがそうだったように、アナーキーな原初衝動が一気に開放されると暴力が生まれやすいことで、ビートニクからヘルス・エンジェルズが生まれたのは記憶に新しい。
この物語でもライオン丸小泉に短刀を突き刺すシーンがあり、結局テロルの物語としてジ・エンドになるのか、と思ったらさにあらず、主人公の白昼夢に終わったのでほっとした。
このシーン、文中に言及がないので若い読者のためにおせっかいを焼くと、社会党の浅沼委員長を刺殺した山口音弥の事件がモデル。中年以上の世代なら余計なおせっかい。
もうひとつ余計なおせっかいを焼くと、文中であえて「鎌倉のサド文学者」と匿名で記しているのは澁澤龍彦氏のこと。
で、何が一番面白かったかというと、ポスト・モダン、脱構築といった現代思想(ちょっと前)のキーワードを使って、日本最大のアナーキスト集団はむき出しの欲望だけが自律運動してきた自由民主党であると、主人公の兄に言わせているところ。
大笑いしてしまった。
もうひとつ、大正時代にワープするので、当時の文学者がぞろぞろ登場してくるのも面白い。
本郷菊富士ホテルには谷崎潤一郎や竹下夢二が出入りしているし、パリのキャバレーにはフィッツジェラルドと酔っ払ったゼルダがいる。大杉栄が訳していたのが無名時代のヘミングウェイだったというオチもあり、こんな遊びが大好きなボクは大喜びだ。
小説の方だが、閉塞の先にある未来が見えない現代の物語らしく、開放は愛の中でしか実現しないとばかりに大杉栄と伊藤野枝の100年越しの愛が美しく実るのだが、それはまた棲み憑かれた主人公とりんこりんの愛の物語へと通じていて、それなりに面白いのだ。
もうちょっと中身よりの話をすると、主人公はパンクバンドにベーシストとして参加する。初ライヴのとき、頭の中に棲みついた大杉栄が、これぞアナーキズムだと興奮して主人公の体をのっとり、ヴォーカルリストを蹴飛ばしてアナーキズム万歳の大演説をパンクのリズムに乗せて歌いだすのだ。
聴衆は興奮興奮大興奮だ。
もっともこうしたエピソードは細部にすぎないんだけど、面白くて夢中になる。
細部が異常なまでに面白い小説なのだ。
語り口はあくまで軽快。
だからす~いすいと水上をすべるように読めるので若い読者にこそお勧めだ。
この小説で初めて知ったんだけど、近年では甘粕正彦は虐殺の下手人ではなかったという説があるそうで、中森氏は別人の憲兵を登場させている。
ボクはといえば、大杉栄はよく知らないが、女房を取られた辻潤にはシンパシーしたクチなので、中森氏が辻潤のことを好意的に書いているので、それだけでこの小説を推薦したくなる。
The Sex PistolsーAnarchy In The U.K
https://youtu.be/cBojbjoMttI