カート・キャノン「酔いどれ探偵街を行く」・・・傑作ハード・ボイルド・・Suede
梅雨が明けた。
食料品の買出しに街まで出かけたついでに、いつもの店で餃子を肴にビールをあける。
昼酒は効く。
13時に帰ったら、バタンキューで4時間も昼寝をしたらしい。
目覚めたとき、昼寝だったとは気づかす、5時というのはちょっと朝が早いけど、ま、いいか~と起きて外を見たら朝焼けじゃなくて夕暮れ。
え~っと、びっくりしたら昼寝の記憶が蘇ってきた。
こんなに昼寝をすると、夜が辛い。
といって、さっきまで本を読んでいたので、残りの時間、ブログを書く気にもなれない。
2008年に書いたブログ記事を再掲載してお茶を濁そう。
当時のブロ友さんはみんなブログから離れていったので、それでいいのだ~べらまっちゃ。
まじりっけなし、純度100%の面白さなのだ。
なんたってタイトルがいい。
安酒の臭いと裏街の臭いがプンプン漂ってきて、カート・キャノンなんて作家は聞いたこともなかったが、おいでおいでするタイトルを待たせちゃいけないと即買い求め、レジのお姉様が釣り銭の計算を間違えている間に読み始めたら止まらなくなって、歩きながらも読むのを止められなくて、電信柱にぶつかり、怖い兄ちゃんに突き飛ばされ、車に轢かれながらも読みつづけていたら読み終えてしまったのだ。
そういえば釣り銭をもらったんだっけ?
でぶ公はこんどは怖がらなかった。目は大きく見開いていたが、もう恐怖が彼をかきみだす心配はなくなっていた。殺したのは経済観念のない人間だったに違いない。そいつは大型ピストルの中身を、でぶ公のからだへ、洗いざらい叩きこんで、胸をめちゃめちゃにしていた。
文字通り「はーど・ぼいるど、だじょう~!」なのだ。
「そんなことを聞きたがってるやつは、誰なんだい?」
「おれだ。カート・キャノンだよ」
「そうかね?」
「そうだね」
ビート・ミュージックかジャズを聴きながら読みたいな。
ヘミングウェイの名作短編「殺し屋達」を思い出しませんか。
いま、「文体」と言ったけれど、原書で読んだわけじゃないので、もちろん日本語の「文体」です。
で、このかっこいい日本語の「文体」を作ったのは都筑道夫氏。
どおりでかっこいいわけだ。
もう知らない人がいるかもしれないので、ちょっとだけ触れておくと、「ミステリー・マガジン」の編集長を経て、英米ミステリーの著名な翻訳家となり、創作活動もしていた人です。
この本は8編の短編が収められた短編集で、原文が発表された53年から54年にかけて日本語版「マン・ハント」誌に翻訳掲載されたのが初出だそうで、早川のポケット・ミステリーに収録されたのが63年。同ミステリ文庫に収録されたのが76年。
翻訳文体っていうのは時代と共に変わっていくので、古い翻訳は読めない代物が多いんだけど、都筑氏の翻訳は、現代の読者が読んでも絶品なのです。
ところで、カート・キャノンという作家なんだけど、実は「87分署」シリーズで有名なエド・マクベインの別名義ペン・ネーム。
どおりで、面白いはずだ。
売れっ子になる以前、当時のパルプ・マガジン・ライターの例に漏れず、彼もいくつかの名前で書き散らかしていて、カート・キャノン名義で8編の短編(ここに全部収められている)が書かれている。
で、主人公の探偵の名前もカート・キャノン。
新婚早々、嫁さんに浮気され、立ち直れなくなって、ニュー・ヨークのスラム街で酒浸りの生活。
どん底まで落ちてるんだけど、見捨てられた街の住人たちの間に次々と起こる事件が彼を追っかけて来て離してくれない、というのが8編の骨子。
裏切った嫁さんをいつまでも忘れられなくて、そこがまた切なくて、男にはジーンと来てしまうのだ。
ぼろぼろなのに、何故か女性には縁があって、ちょっとばかし羨ましいぞ。
一時期絶版になっていたらしいが、01年に復刊され、現在発売中。
掲載の写真は89年版なので、カバーデザインが異なっています。ご注意下さい。
Suede・・・90年代の唯美主義者たち
ブログを始めたのがきっかけとなって、90年代の音に目覚めたが、CD購入基準はもっぱら若い仲間たちに負っている。
若い人たちのセンスの良さにはびっくりするのだ。 どうせ何も知らないんだから、センスのある人たちに従ったほうがいい。 で、彼らに教わって聴き始めたのがこのスウェード。 すっかり気に入ってしまった。 ホモセクシャルの歌詞がどうのこうのとか、反道徳的な言辞がどうのこうのとか言うつもりはない。 極めて「唯美的」で「官能的」な音なのだ。 まず、曲の作りがドラマチックで美しい。 ファルセットを多用したヴォーカルの Brett Anderson の歌声が様々なドラマを演出しているようで、聴くたびに違ったイメージが想起されてくる。 これはすごいことなのだ。 その歌声を愛撫するように Bernard Buttler のギターが、こちらも表情豊かに絡みつく。 60年代後半からウネウネとのたくるギターが主流になって、その反動で、70年代後半のニューウェーブやパンクはブツブツぶったぎるギターが主流になったが、バーナード・バトラーのギターはその中間。 聴いた範囲ではこんなギターが90年代の主流のようだ。 つまり、3200mを走る春の天皇賞が主流だった時代から、1200mの短距離電撃戦へと趣味が変わり、それも飽きたので、2000mの中距離路線、秋の天皇賞が主役になったようなものだと思えばいいのだろう。 別の言い方をすると、ヨコ揺れの時代からタテ揺れの時代になり、またヨコ揺れの時代になったということだ。 地震だって短い距離(直下型)ならタテ揺れ、長い距離ならヨコ揺れ、と決まっていて、これを「波動の法則」といって、五味なんとか博士が実用化したので宇宙戦艦ヤマトが作られたといういわくつき理論なのだ。(ホントですよ。クロネ○戦艦ヤマトの「波動砲」を見よ!) 話が支離滅裂になって訳が分からなくなってきたが、「とてもいい」ということを言いたかったのだ。 で、最初の写真が93年の1stアルバム Nude (CDです)。 収められた12曲とも抜群の出来で、駄作がない。 ちょっと珍しいケースだ。 2曲目の Animal Nitrate という曲がUチューブにあったのでどうぞ。 ヴィデオの雰囲気が、彼らについてあちこちで書かれているのにピッタリだと思う。 真中が2ndの Dog Man Star 。
こちらはちょっとバラつきがあるが、ボクが聴いた3枚のうちでは1番好きなアルバムだ。 6曲目の The Power という曲がとくにいい。 10曲目の Black Or Blue という曲ではバックにオーケストラを加えていて、短いけれど構成が複雑で聴き応え十分。ブレットの声が何十色にも塗り重ねられていて、深みのある油絵のようだ。 11曲目の Asphalt World になると、実験的な色合いも帯びていて、初期の頃のピンク・フロイドを髣髴させる。 (余計なことだけど、ピンク・フロイドはプログレなんかじゃありませんよ。いずれまたそのことも書きたいが) アルバム製作中にブレットとバーナードがトラブって、完成を待たずにバーナードが脱退したそうなので、バラつきは多分そのせいなんだろう。 最後が02年の5th、 A New Morning で、彼らの最後のアルバム。 先の2枚とはメンバーが大幅に変わっているせいもあり、曲調もドラマチックな壮大さが影を潜めてこぢんまりとした感じだが、アコースティックな音が前面に出て、より聴き易くポップな音になっている。 ブレットの歌いかたもファルセットを押えて、唯美的というよりは力強い。 とはいえ、「らしさ」は十分なので、こちらも気に入っている |
織田作之助「妖婦」「可能性の文学」初版本・・・The Zutons・・Who Killed
「妖婦」表紙と裏表紙。
目次。
奥付。昭和22年2月25日発行。定価40円。風雪社刊。
昭和22年1月に亡くった織田作の死後出版。
戦前から戦後にかけて、単行本未収録の作品を収めた短篇集。
このうち「漂流者」(昭和17年)が最も古く、「妖婦」(没後の3月「風雪」に掲載)がもっとも新しい。
織田作は庶民の世態を巧みに描いて登場してきた作家なので、最初の5編は欲得も色事も綯(な)い交ぜになった庶民の実相を描いた作品。
6番目の「鬼」は、デカダンと世間から指弾された織田作自身をモデルにした自虐的かつ諧謔的な作品。 8番目の「昨日、今日、明日」は、終戦前後の物語。
織田作は政治には関心がなかったので、直接権力を批判することはないが、当時の庶民の感覚はきちんと掬う。 赤紙で応召された庶民兵士に対し、職業軍人がどれだけ横暴に振舞っていたか、終戦の詔勅が下りるや、その職業軍人が軍需物資を掻っ攫って逃げていく様が点描される。 リアルタイムの人間が書いたものを信じるか、当時を体験していない人間の説く美しい軍隊だった~という妄想言辞のどちらを信じるかは勝手だ。 最後の「妖婦」。
モデルは阿部定で、水商売に入るまでの、つまり10代の彼女。 「世相」という作品のなかで、阿部定を書きたい、タイトルは「妖婦」だと述べていて、しかし、材料となるべき公判記録が手に入らないと嘆いていたら、7年後、ひょんなことから馴染みの天麩羅屋の主人が持っているのが分かり、借りて読むのだけど、小説にしたところで検閲ではねられるのがオチ。 そのまま天麩羅屋の主人に返したが、空襲でこの一帯が焼け、公判記録も消失してしまう。 よほど執着があったのだろう。
記憶と想像力でモノした1篇。 織田作といえば、志賀直哉を祀った日本の文壇への抵抗を宣言した書「可能性の文学」が有名。
小説の虚構性と偶然性の回復を説いたが、成功した作品を書く前に血を吐いて早逝した。
最後の作品となった「土曜夫人」にその片鱗を伺うのみだ。
昔解説したのでこれ以上は述べない。
「可能性の文学」初版表紙と裏表紙。
奥付。昭和22年8月30日発行。カホリ書房刊。定価55円。
さてさて、今日も音楽ネタは2008年の記事の転載。
04年にデビューしたばかりのこのグループ、ザ・ズートンズのことは娘に教わった。
子供に洋楽のことを教わる歳になろうとは・・・! ・・・・・・・・・ とてもいいのだ。 おじさんにも、若い人にもおすすめなのだ。 レトロな音を蘇らせたゾンビミュージックというらしい。 が、60年代の香りがプンプンというわけではない。 多分現在主流の音(どんな音なのかボクは知らない)からみれば、レトロな感じがするという程度なんだろうと思う。 しいてあげれば、どこかに60年代ポップスの香りがするくらいか。 最後の曲、12曲目の Moons And Horror Shows なんてニュー・ボードヴィル・バンドの「ウィンチェスターの鐘」のサウンドを髣髴させるといえばさせるという程度。 アコギ主体の聴きやすい独自サウンドだと思う。 リヴァプール出身ということなので、こんなポップな音作りが可能になったのかもしれない。 アルバム4曲目の Confusion がUチューブにあったのでどうぞ。
紅一点のアビィ・ハーディング嬢がアルト・サックスを吹いていて、うまいんだか下手糞なんだか、「ヘ」、という音を延々と演っていて、最初は大笑いしてたんだけど、何度か聴くうちに病みつきになってしまった。 他人の「屁」は臭くて嫌だが、自分の「屁」なら愛しくなる。
臭ければ臭いほど、病み付きになるのは皆さん経験済みだろう。 ハーディング嬢のような美女の「屁」なら、他人の「屁」であっても愛しくなって当たり前だ。 対立する2つの概念、たとえば嫌いなものを愛しくなることをアウフ「屁」ーベンと言って、男女の恋愛を考察した「屁」ーゲルが唱えた。
日本語では「止揚」と訳す。 う~む・・男女の関係を見事に表した訳語で、これはすごい~~ 写真は04年のデビューCDで Sonny Music Europe 発売。
12曲入り。 現在2枚目がリリースされてるんだそうだ。 同じ記事をアメーバにも投稿しましました。
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織田作之助「猿飛佐助」・・・The Amoeba
日本本土が最初に空襲を受けたのが昭和19年11月24日。
成都からの爆撃は北九州が限界だったので、グアム、サイパンを攻略した米軍は、ここからB29による本格的な空襲を始めるのだが、日本の都市が、木と紙で出来ていることに着目して、焼夷弾による焼き討ち作戦を本格化したのは昭和20年3月10日の東京大空襲から始まる。
このとき死者は10万人を越し、被災者は100万人を越えたと言われる。
猛火に追われた人々が次々に隅田川に飛び込み、溺死者は数知れずという。
いま、浅草とうんこビルをつなぐ吾妻橋には慰霊のプレートがかかっている。
そんななか、昭和20年2月から3月にかけて「新潮」と「新文学」に発表されたのが、織田作の「猿飛佐助」だ。
鬼畜米英を撃つ、戦争鼓舞以外の言論が非国民として、発禁処分になる時代なので(すでに昭和16年の「青春の逆説」が発禁処分を受けた苦い経験がある)、洒落だらけの戯作に徹していて、異色の作品。
すこぶる面白い。
東京大空襲を経験した3月以後、こうした作品は2度と書かれていないので、唯一無二の作品ということになる。
権力や時局に媚びるのは馬鹿馬鹿しいし、大阪庶民の当時の風俗を写し取ろうとすれば発禁の恐れがある。
笑い飛ばして、時代の潮流が変わるのを待つのが庶民の身の処し方としては賢明だ。
猿飛佐助といえば、忍者の中の忍者、いまも昔もアイドルだ。
その佐助を、織田作は、あばた面で自意識過剰と自己嫌悪の同居する近代人として描いている。
佐助に忍術を教える師匠が、鳥人(超人の駄洒落)戸沢図書虎(ツアラツストラ)。
火遁、水遁、木遁、金遁、土遁の忍術のほかに、飛行術まで教えるので「鳥人」というわけだ。
どんな駄洒落文章かというと、
「覚えた経(今日)が飛鳥(明日か)の流れ、三途の川へ引導代り、その首貰った、覚悟しろ」
さすがだなあ~と感心しませんか?
軽佻浮薄を自認している2人、佐助と石川五右衛門が名乗りを上げるシーンでは、まず佐助が「あ」の字尽くしの名乗りを上げると、五右衛門のほうは得たりやおう、と「い」の字尽くしで返す。
ちょっと長い引用になるがこんな具合だ。
「『十」六夜う(いざよう)月も「石」山の、「乾」(いぬい)にかくれて「一」寸先を、「い」ざりも這えぬ暗闇に、かくれてことなす「い」か者は、「石」川や浜の真砂の数あれど、「石」の上にも三年の「伊」賀で覚えし忍術を、「い」ざ鎌倉のその時に、使えば「い」かな敵もなく、「い」つも月夜と米の飯、「石」が流れて木の葉が沈む、「今」太閤の天下をば、「命」をかけた「陰」謀の、「意」地ずくどりの的にして、「命」知らずの「一」味郎党、「一」蓮托生の手下に従え、「一」気呵成に奪わんと、「一」騎当千の「勢」いの、「帷」幄(いあく)は東山南禅寺、「一」に石川、二に忍術で、三で騒がす、四に白浪の、五右衛門と噂に高い、洛中洛外かくれもなき天下の義賊、石川五右衛門とは俺のことだ」
歌舞伎なら大向こうから声がかかって、大見得を切るシーンですね。
そんな佐助にも胸に秘めたる女人がいて、村イチバンのいい男はオレだ~と自負していたのに、祭りの夜、村イチバンの醜い男はあばた面の佐助だという村中の評判を聞き知り、恥ずかしさのあまり、逐電して戸沢図書虎(ツアラツストラ)から忍術修行を受けるのだが、この女人、なぜだか佐助に恋して後を追ってくる。
しかし、佐助はアバタが醜いと思い込んだ自意識過剰な男。
石田三成挙兵の報を聞いたからだ。
三好清海入道と彼女の絡みも抱腹絶倒だが、割愛する。
本を読んでくれ。
ここは「アメーバ」ブログだ。
60年代のテキサスに、その名もずばりアメーバというガレージバンドがいたので、今日はアメーバスタッフにゴマをすることにしよう。
65年の作品で Lost Love。
はてな??
ここは「はてな」ブログじゃなかったかな??
分かってくれたかなあ~~~
サーフでガレージでサイケなキラーナンバーです。
ところで、ネットを探してもバンド情報が全く出てこない。
頼りにしている Discogs のレコード情報では65年8月にリリースとあるが、65年の盤はいくら探しても映像が見つからないのだ。
未発のママ埋もれていたのを再発見したんじゃないかと想像したくなる。
2001年にメキシコの Orfeon から出たシングルがイチバン入手しやすいんじゃないかと思う。
写真は収録された14年ギリシャの G.O.D.(Garden Of Dreams) Records のコンピだが、この弱小会社は300~500枚しか出荷しないというので、手に入れるのが苦労しそうだ。
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名作青春映画「冒険者たち」
お昼にTVで「冒険者たち」をやっていたので、またまた観てしまった。
この映画が上映されたのが中学時代で、すっかり感激したボクは大人になったらジョアンナ・シムカスと結婚するんだ~と固く誓ったのだった。
が、シドニー・ポワチエというライヴァルが現れて、彼女を掻っ攫っていってしまった。
実に悔しかったが、向こうのほうがいい男だから、仕方がない。
ボクは未練を残さず、潔く身を引いたのだった。偉いだろう~
夢のエンジン開発に没頭した挙句、カレーを食べて、あまりの辛さに火を噴いたカーレーサーのリノ・ヴァンチュラ。
新進彫刻家として名声を得るはずだった個展が、こてんぱんに叩かれてこっぺパンを齧ったジョアンナ・シムカス。
夢破れた3人の男女は、コンゴの海に眠る宝探しに出かける。
バックに流れる吹奏楽団の音楽が悲しみを増幅するので、ボクのポロシャツはいつもぐしょ濡れだ。
最後の Fort Voyard(フォート・ヴォヤール)のシーンがまたまた泣けてくる。
死にゆくマヌー(アラン・ドロン)に向かって、ローラン(リノ・ヴァンチュラ)が「レティシアはお前と暮らしたいと言ってたぞ~」と最後の言葉をかけると、ちゃんと分かっているマヌーは「嘘つきめ~」と言いながら息を引き取る。
2枚目俳優のドロンが完全にリノ・ヴァンチュラに食われるシーンで、ドロンにそっくりなボクはついドロンに感情移入してしまうのだ。
これを感情輸入の法則と言って、税関で輸入税を取られる。
あんまり感動した人が多かったので、輸入税が莫大な金額になり、日本の経済復興の資金になったと言われるくらいだ。
資金の話を聴いて、失禁した人はマグロを食いに行ったそうだ。
これがケインズ経済学でいうマクロ経済だ。
受験生諸君、経済学のなんたるかが分かったかな~
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織田作之助「六白金星」初版本・・・The Outer Limits
三島書房刊。昭和21年9月30日発行。定価15円。
装丁:鍋井克之
目次。
六白金星。
髪。 表彰。 道なき道。 訪問客。 神経。 戦中から戦後にかけて執筆された六篇の短篇集。
織田作は、大阪と切り離しては語れない作家だと言われる。
戦中から戦後すぐに執筆されたこれら六篇の短編はいずれも大阪の庶民を描いた作品で、昨日紹介した2作品とは趣が少し違う。
つまり、彼本来の作風だ。
戦時中に書かれた「表彰」がイチバン古く、戦後の昭和20年大晦日から書き出して正月3日に脱稿した「六白金星」がイチバン新しい。
このうち、「髪」「訪問客」「神経」は私小説スタイル。
もともとの織田作文学は、孤立した人間の嫉妬や自尊心に悩む暗い情念が潜んでいるが、この短篇集収録作品はいずれもそうした人間が描かれている。
と言って、後味の悪い暗さはない。
敗戦後すぐ、闇屋なしでは生きていけなかった「訪問客」では、軍需物資を隠匿したり横流ししていた軍の将校連中への憤懣も顔を出している。
「表彰」のお島は、亭主は女道楽で、妾を持って3人の子供を作り、自分には子がなかったので養子を育てたが、この養子がどうしようもない不良になって、傍(はた)から見たら不幸な人生だが、本人にそんな自覚はない。
精一杯日常を生きている健気な女性だ。 そんな女性に注ぐ織田作のまなざしは優しい。 ラスト、空襲で焼け出されたので、鳥取の妾宅に身を寄せようと亭主2人で汽車に乗るが、涎を垂らして居眠りしてるお島の姿を眺めていた亭主は、行く先の変更を決める。 つまり、亭主はやっとお島と2人で老後を過ごそうと決意する含みを持たせているのだ。 となりゃあ、ガレージファンにはいまさらだが、ニューメキシコのバンドで Outer Limits - Alone And Crying で終わりにしよう。
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男の手料理、超難関編・・・John Lee Hooker
なぜかというと、この14秒でジューシーに茹で上がるからなんです(←試験に出る最後の箇所です)。
ディマシュ・クダイベルゲンの世界征服
- テーマ:
- 音楽レビュー
ディマシュ・クダイベルゲンに関しては、解説なんかもう何の必要もないはずだ。
この人が世界に登場したのは、中国の新人発掘TV番組に出場した17年1月のUチューブアップからだが、ボクが知ったのは同年の10月。
70年代半ばに音楽マスコミ(音楽雑誌、ラジオ、TV)と縁を切ったので、たまたまUで見るまで知らなかった。
しかし、一発で脳天直撃を食らったので、彼を取り上げるのが何度目になるのか自分でも覚えてない。
最初に知ったときはキリル文字と中国語の記事しかなかったが、月を追うごとに英語記事も増えていった。
日本語の記事も今では普通になった。
たった2年で世界を征服したのだから、すごいの一言だ。
それも道理で、6オクターブという信じられない音域の持ち主。
おまけに一曲の中でいくつもの歌唱法を使い分ける驚異。
中国圏やロシア語圏では17年中に大スターになったようだが、英国を征服したのは18年。
戦略なんだろうけど、わざわざ新人発掘番組 X- Facto Show に出場しているが、特別扱いなのはバックの映像を見れば分かる。
ロシアのプロステージで、この曲を歌うときに使っているものだし、観客もディマシュ見たさに来ているのが一目瞭然。
途中でファルセットを使っているが、これもテクニック。
ファルセットを使わなくとも地声でこの音域は楽々出るので、自然に地声に替わっている。
去年の12月の投稿なのに、もうじき2、000万のアクセスだ~!
米国征服は今年の2月。
やはり新人発掘番組に出ているが、形だけ。
ここでも特別扱いだ。
マイクを使った歌唱法に注目。
最初の X- Factor Show 登場なのかどうか調べないと分からないが、11月アップの動画は3,000万アクセスを超えている。